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インターパシフィック・ネットワーク・コーポレーション
Interpacific Network Corporation

 

移民X-File(グリーンカード体験記)

 

 

 

 

 


以下のコメントは、米国移民法に 関する法律相談に代わるものではありませんのでご留意下さい。移民法は頻繁に変わり、ケースバイケースでアドバイスも異なりますので、実際に移民法上の質問や問題に直面している方は、米国移民法弁護士に個人的にご相談なさることをお勧め致します。 当サイトは読者と当社及びそのエージェントとの間に弁護士と依頼人の関係を築くものではありません。従って、当社は当サイト内の内容に関して一切の法的責任を負いかねます。

1、グリーンカード剥奪寸前-ひやひや体験記

2、グリーンカード当選(DVプログラム)体験記


<グリーンカード剥奪寸前!! - ひやひや体験記>

R.T.と申します。小生、学生時代に米国にて永住権を取得致しました。具体的には、小生の父が小生大学時代に米国に日本企業駐在員として、E-2ビザで赴任しておりました。父親が永住権を正規ルートにて取得致しましたが、小生は当時大学生で、21歳以下であった為、「棚からぼたもち」的に永住権を取得致しました。米国の大学を卒業し、3年前に日本に帰国、現在社会人3年目です。永住権は取得してから4年目です。友人等のまた聞きで、「1年に1度少しの間でも米国に入れば、永住権を剥奪されることはない」と把握しておりました。が、、、

昨年の11月にハワイ入りした際、空港の入国審査官に、パスポートを入念に調べられた後、「今回の渡航目的は何か?」と質問されました。「本拠地は米国だから帰国である」との回答をした後、「仕事は何処の会社か?」との質問をされました。日本の某社の東京本社に努めている小生は、そのまま答えたところ、「日本で仕事をしていて、あなたの国籍・親も日本であるならば、何故永住権を持っている必要があるのか?」と質問され、別室に連れられました。

別室には、小生の他、粋がった日本人・韓国人・中国人がところ狭しと呼ばれるのを待っていました。それぞれ余り英語が出来ないのか、母国語・英語の通訳がついていました。(小生の英語力は、通訳は必要でないと判断頂いたようです。)1時間程待たされ、別の入国審査官が出てきました。また同じ質問をされ、「1年以内で入国すれば剥奪される筋合いはない」と伝えたところ「1年以内でも、剥奪される場合があり、永住権を持つ者でも、出国前に移民局に対し、リエントリー・パーミットを申請しなくてはならない」といわれました。「今回は、入国ではなく、帰国である」、「今度米国を出国する際は、リエントリー・パーミットを取得し、出国するので、入国させて欲しい」と懇願し、米国に居住する意思のある証拠として、米国での銀行預金明細、米国税金申告書のコピー、運転免許証(NY州)を提示しました。幸運なことに、米国銀行の口座は親との共同名義口座だった為、生活力を示すだけのお金が入っておりました。また、現在小生が、米国ABC社との子会社設立の為従事しており、将来米国に再度戻り、仕事をする可能性が大である旨、伝えました。

入国審査官は、再度他の審査官と打合わせに席を外し、小生は又1時間以上待たされました。「もう絶対に剥奪された」と思ったのですが、、戻って来た審査官に「今回だけは、剥奪を免除するが、今度海外にでる場合は、必ずリエントリー・パーミットを取得するように」と言われました。

その場は一見落着、ハワイに入った小生は、早速移民局にリエントリー・パーミットを取得の為、申請に行きました。ラッキーなことに2年間有効であるリエントリー・パーミットが、手元に届き、再度日本に向けハワイを出国しました。

<コメント>

とても大変な経験をなさいましたね。でも、取り敢えずリエントリー・パーミットがおりてよかったですね。ところで、R.T.さんと同様の経験をなさった方は、最近非常に増えている様です。入国審査官の目が、ここ数年、非常に厳しくなっていることの現われでしょう。

グリーンカードは一旦取得したら永久的に有効なものだと考えていらっしゃる方がいますが、これは大きな間違いです。グリーンカードを持っているからといって、何時でも気が向いた時に米国へ入国して、好きなだけ滞在してまた日本へ帰国するということを繰り返すことが出来る訳ではありません。本人が米国永住の意志を持っていないと看做されれば、永住権を剥奪される危険性は大です。また、1年に1回、観光等で数日間米国滞在すれば、永住権を剥奪される心配はないと誤解していらっしゃる方が多いようですが、それだけでは永住の意志は証明できません。この誤解は、「リエントリー・パーミット等の書類なしに、グリーンカードを再入国許可証として再入国するためには、必ず1年以内に再入国しなければならない」という移民法の規則を逆読みして、「1年に1回、米国に再入国してグリーンカードを使用すれば、永住権を剥奪されることはない」と解釈してしまったからだと思われます。あくまでも重要なのは、国外滞在中も米国を永住の地として扱っていたかということです。従って、米国外に長期滞在している場合(例え1年以内に渡米したとしても)、米国永住の意志を継続して持っているということを常に証明できるようにしておく必要があります。

移民局が永住権の有効性を判断する際、最も重要な要因となるのは、グリーンカード保持者の永住意志ですが、ただ単に本人が「永住の意志がある」と表明しただけでは証拠不足です。移民局は、もっと客観的な証拠を要求します。移民局が考慮に入れる要因として以下のものが挙げられます:

 米国外での滞在期間  米国外滞在の理由 - 米国に帰国するはっきりした予定はあるか 国外滞在中も米国永住者として米国での税金申告を行っていたか 不動産、預金、クレジットカード、運転免許書等、米国との継続的な関係を示すものがあるか 米国内に家族がいるか  米国と現職との関係(米社の日本支店に勤務している等)

米国再入国の際に、これさえあれば確実に入国できるという、「水戸黄門の印篭」のようなものはありませんが、永住権剥奪の予防策として以下の点が挙げられます:

 国外滞在中も継続して米国税金申告を行うこと。 出来れば米国内に住居を残しておくこと(国外滞在中はリースする等)。もし、無理なら、せめて米国内の友人か親戚に依頼して、住所だけでも米国内にパーマネント・アドレスとして残しておくこと。 もし、仕事の関係で国外に長期滞在する予定であれば、会社から、その目的および期間を明記したレターをもらうこと。 米国内に銀行口座を維持して、数ヵ月分の生活費を入れておく。 米国のクレジットカードの口座を維持しておく。 米国内の運転免許が失効しないよう、まめに更新しておく。 その他、財産の精算、遺産の処分、病気の家族の看病等、特別な理由で長期国外滞在している場合は、それを証明する書類を整えておく。

グリーンカード保持者が1年以上米国外に在住した後、米国に再入国するためには、グリーンカードだけでは不足です。米国を出国する以前に、1年以上戻ってこないことが予めわかっている場合は、出国前にリエントリー・パーミット(ReentryPermit)を移民局に申請して取得しなければなりません。リエントリー・パーミットの有効期間は最高2年までです。米国を離れる前に1年以上戻らないことが予測できなかった場合(例えば、国外で重病になった等)、或いは2年以上米国を離れる場合は、最寄りの米国大使館或いは領事館でスペシャル・イミグラント・ビザ(SpecialImmigrant Visa)を申請しなければなりません。スペシャル・イミグラント・ビザを取得するには、前述の様に、永住権を放棄していないということを証明しなければなりません。2年間有効なリエントリー・パーミットがある場合、1年ごとに再入国する必要はありません。パーミットの期限以前に再入国すれば大丈夫です。但し、リエントリー・パーミットは、グリーンカード保持者の海外滞在が一時的なものであることを認めたものに過ぎず、これがあるからといって再入国が保証されているわけではありません。上記の証拠書類等はリエントリー・パーミットがあっても必要です。



<グリーンカード当選(DVプログラム)体験記>

<体験記その1>

米国永住権(グリーンカード)の取得を夢見て、DV-99プログラムに応募したのが1997年9月でした。「DVプログラムは宝くじと同様、参加しなければ当たりません。」という言葉を信じて申し込みました。1998年4月中頃に、何の連絡も無いのでダメだったのだなぁと諦めかけ、忘れかけ始めた頃にインターパシフィック・ネットワーク・コーポレーションより会社にTELがあり、「あなたは当選されました。」と言われました。

まさか当選できるとは思ってなかったので本当にビックリしました。それから2週間くらいは本当にグリーンカードを取得するために申請をするのかしないのか悩みました。
というのは、日本に居ながらグリーンカードを保持し続けることができない(アメリカに拠点を置かなければならない)、銀行残高がある程度必要である(貯金があまり無かったため)悩んで悩んだ結果これはチャンスなのだと信じて取得することに決めました。 決心してからは、米国移民弁護士の中村さんにお願いして進めていきました。

まず、当選通知から1週間くらいでナショナルビザセンターからの通知書と申請書に関する説明書等が送られてきました。この後2週間ほど真剣に悩んだのですが、私の英語力では申請書に不備があってはと思い中村さんにお願いすることに決めたのです。(もちろんすべて英語で書かれているし、これからはすべての手続きを英語で進めていかなければならないので。)
中村さんのアドバイスにより申請書を慎重に作成し、FAXしてそれをチェックして頂きました。自分でも何回も確認した上でナショナルビザセンターへ郵送しました。
内容は自分の学歴・職歴・戸籍・渡米経験等を書き込みます。その申請書には実際にグリーンカードを許可された後のカードの郵送先(現在アメリカ在住である受取人)が必要でした。私の場合は兄が米国在住中でしたので兄の住所を書きました。私は独身で結婚暦も無く一緒に申請する家族も無しという状況でしたので比較的家族持ちの方や結婚暦のある方に比べて書く内容は楽だったと思います。
郵送後1〜2ヶ月くらいに中村さんがナショナルビザセンターに私の書類が本当に届いているかどうかの確認を入れて確認が取れた時点で、無事受け取られていることを通知してくださいました。(この時はホットしました。それまでは不備が無かったのか届いているのか心配していたので。)

その後はアメリカ大使館でのインタビューの日時とその時に必要な書類の説明書等の書類が送られてくるのをひたすら待つだけでした。この頃その書類が送られてくるのは年末か年明け早々で、インタビューは来春頃ではと中村さんから言われていたので結構余裕で気長に待とうというような気持ちでした。
実際には3ヶ月後くらいにその書類が送られてきました。それからがかなり忙しく大変でした。只、インタビューの日まで2ヶ月間あるので必要な書類はそれまでに揃えることができました。
まず、写真(サイズ・顔の向き等の指示があります。)、戸籍謄本、住民票、高校以上の学歴の卒業証明書、警察証明(指紋も採りました。)、銀行等の残高証明書。全部書類は英文で作成してもらいます。
健康診断を指定された病院の中から便利な所を選び、予約を入れて受けに行きます。
私の場合は愛媛県在住でしたので一番近い所の神戸で受けました。(東京・横須賀・神戸・沖縄の中から選択します)胸部X線・血液検査(HIV等)・予防接種(母子手帳を持参のこと)、その時に受けられる予防接種は受けます。(私はジフテリアを受けました)ただし、一度に全部の予防接種は受けられないので、健康診断後1週間くらいで予防接種に関する結果が病院より届きます。何も無ければそれでいいのですが、抗体が無い場合(マイナスの結果)はその予防接種を最寄りの病院にて受けます。私はおたふく風邪がマイナスの結果がでていたので小児科にて受けました。その時の小児科の先生に証明を書いて貰います。
その証明書を健康診断を受けた病院に早急に郵送します。健康診断を受けた先生に予防接種の終了証明を書いて貰うためです。その後病院より開封厳禁と入った大きな封筒(レントゲン写真・検査結果等の重要書類在中)が送られてきます。(アメリカは予防接種に厳しいので慎重に。)

私は早めに全部進めたので余裕で書類を用意することができました。インタビューの日が待ち遠しかったです。中村さんより参考のためにとインタビュー体験談をe-mailにて送って頂きました。東京赤坂のアメリカ大使館にてインタビューでしたので、もちろん航空券・ホテル等の手配も済ませておきました。
インタビュー当日は8:30までにすべての書類を持って忘れ物無いようにして入ります。身体検査・持ち物検査を入り口にて受けます。カメラは持ち込み禁止です。
すでに多くの方が集まっていました。受付番号順で呼ばれます。私は時間ぎりぎりに入ったのでかなり待たされました。
自分の番を待つ間、緊張していましたが他の人の手続きの流れを観察していました。
銀行の窓口のような感じで、自分の番号が電光掲示板に表示されたらその窓口に行きます。
最初は日本人のスタッフに全ての書類を提出します。(提出漏れのないように。)
その時、お金を支払う場所と金額を指示されます。その後すぐその場所に行き、ドルか円にてその金額を支払います。そのまま座って待っていると再度呼ばれます。(それまでに書類不足や不備・問題のある人は何度も呼ばれます。)再度呼ばれた窓口に行くと、あなたはテロリストですか?というような質問に答えます。何の問題も無ければ次は領事との面接です。(もちろんアメリカ人です。)
何を質問されるのだろうと呼ばれるまではドキドキでしたが、実際には書類に自分のサインを指示された箇所に書きました。領事がコンピューターで私の個人データーを確認していました。私の経歴が数回観光で入国した程度だった為か何の問題も無かったようです。
人によってはいろいろ質問を受けている方もいました。(英語でです。)
私は本当に何も質問されませんでした。

その後、1回目お金を払った所で残りの金額を支払いそのレシートを領事に提出します。領事より何時にまたここに来なさいという指示を言われます。(ピックアップのことです。私たちは14:30集合でした。)
ここまでの手続きを終了できた方はグリーンカードの許可を貰うことができます。
(何人かは面接で断られていました。)
昼食を取る時間が十分ありますので一度大使館を出て、ピックアップの時間前に再度大使館の中に入ります。後はまた番号で呼ばれて開封厳禁の書類を渡されます。
その後についての説明書・注意書きのコピーを貰います。受け取った許可証の内容を自分で良く確認して間違いがあればその場で訂正してもらいます。私はパスポートの有効期限の日付が違っていたので申し出ました。質問等のある方もその時にします。
ピックアップには全員来て無かったので許可が貰えなかった人も何人かいたようです。
ここまででインタビュー終了です。

許可を貰った日から6ヶ月以内に、渡された書類を持ってアメリカに入国しなければなりません。私は1998年11月10日に許可が下りたので、翌年1999年2月に入国しました。イミグレーションで書類を渡すと別室に連れて行かれ、簡単な質問と指紋を採られました。(ワシントンDC空港)その時にグリーンカード送付について説明書を渡されます。
10ヶ月〜1年以内に受取人の住所に送られますとありました。兄の米国滞在期間中に郵送されるか心配していましたが、やはり問題が無かったのかどうか分かりませんが2ヶ月後くらいに兄の住所に郵送されてきました。これで一安心という感じでした。

当選してから実際に実物のカードが届くまでに約1年間かかりました。
みなさんのお陰でスムーズに事が運び大きな問題も無く無事取得することができたと思います。特に、弁護士の中村さんには大変お世話になりました。
アメリカでこれがしたいと夢を持っている方は是非挑戦して頂きたいと思います。そのためには、やはり応募しないことにはチャンスは巡ってこないということです。
私の父はアメリカで勉強がしたい、留学したいと願いつつ若くして亡くなりました。これから私は父の夢を胸にせっかく掴んだこのチャンスを活かせるよう頑張ります。
米国でのグリーンカードの重要性はとても大きなものです。まさか自分が取得できるとは思ってもいませんでしたのでこの喜びは何物にも代え難いものです。
心よりみなさんの幸運をお祈りします

<体験記その2>


インターネットでDVプログラムの存在を知り、モノは試しで応募したら偶然当たってしまったDV-98応募からビザ取得までの我が家の体験をお話しします。

応募動機は、たまたまインターネットのグリーンカードに関する様々なホームページをみていたところ、コンピューター抽選で永住権を交付しているということを知り、試しに応募したという、いい加減なものでした。通常、コンピューター抽選当選者への通知は2、3ヶ月で届くと聞いていましたので、DVミ98は締め切りが97年3月下旬でしたから、6月頃までは期待して毎日ポストを覗いていました。しかし、それらしき通知は届きませんでしたので、落選したのだとすっかり諦めかけていたところ、8月の上旬に当選通知は届きました。
6、7件の業者にe-mailを送り回答のあった数社を比較検討した結果、応対の感じが良く、料金も良心的だった本ホームページを開設しているインターパシフィック社にビザ取得までのサポートをしてもらうことにしました。

まさか自分が当選すると思ってもいなかったため、今回の応募に関しては夫にも話していませんでした。しかし、家族分も併せて応募したため当然当選通知は夫と3歳の娘も含めた家族3人分でしたので、何にも知らない夫に対し当選通知を前に永住権とは、そのメリットとは、コンピューター抽選とは等々最初から説明しなければなりませんでした。
当選通知を受け取った時点で私のアメリカに行ったら何をしようという夢はどんどん広がりましたが、もともと日本を離れる気のない夫の反応は「俺はアメリカ行ってもすることないし。」といった素っ気ないものでした。しかし、人生の転機ともなりうる今回のチャンスを無駄にしたくはなかったので何とか夫を説得し、家族全員で永住権を取得することに合意してもらいました。
3歳の娘は、XミFILEのモルダーとスカリーに会えるよと言ったところ、すんなり「行きたーい」と協力姿勢を示してくれました。

弁護士の中村さんとはe-mailで連絡を取り合いました。もちろん、申請書の校閲にはFAXを用い、急ぐ場合には電話でもやりとりしましたが、emailは電話をかける時のように時差を気にする必要がなく、かつ、FAXのような料金もかかりませんので、非常に有効な連絡手段でした。
申請書は下書きの内容の確認及び記載不明個所のアドバイスを中村さんにしてもらい、清書するまでに約2週間かかり、ナショナルビザセンター(NVC)へ申請書を送付したのは8月の下旬でした。航空便はFed-ex等を利用すると一番早いと夫から聞いていたのですが、どのように利用すればよいのか分かりませんでしたので、郵便局の職員に一番早く届くようにするには何がいいか相談し、EMS(国際エクスプレスメール)を利用しました。通常の航空便は1週間かかるところをEMSは2、3日で届くとのことでした。

NVCから送られてきた書類には各種提出資料を速やかに集めるようにとの記載がありましたので、申請書への記入と並行してすぐに各種提出資料の収集に取りかかりました。
その中で、警察証明書の発行について警視庁へ問い合わせたところ2週間かかるとのことでしたので、夫と共に仕事の合間をぬって証明書発行に必要な書類を提出しに行きました。
しかし、NVCへ送付する書類は申請書だけで、提出書類は面接時までに集めておけば良く、この申請書記載に必要な情報は戸籍だけでした。従って、申請書を送付した後で各種提出資料を収集し始めても何ら問題はなかったわけです。

申請書は8月の下旬に送付したので、記載内容に問題がなければ面接の連絡は2、3ヶ月後の遅くても11月頃にはあるだろうと思っていました。しかし、11月下旬になっても連絡は全くありませんでした。
中村さんに相談したところ、年内は待ってみましょうとのことでしたので、年明けまで待ってみましたがそれでも全く音沙汰ありませんでした。したがって、申請書の送付が遅く、NVCに届いたのは定員に達し受け付けを締め切った後だったのだろうと半ば諦めていました。
中村さんも心配して下さり、NVCに直接照会して下さいました。その結果、私の申請書は確かに受理されているということが明らかになり、一安心でしたが、その後翌年の5月まで全く連絡がなかったため、面接の連絡が届いたときにはすっかり待ちくたびれてしまいました。

DV-98の面接開始時期である10月に次のDVプログラムDV-99の応募が開始され、NVCの業務量が増大していた為なのでしょうか。詳しい理由は判りませんが、結局、97年8月下旬に申請書を送付してから98年5月上旬に面接の連絡を受けるまで8ヶ月も待たされてしまいました。
NVCから届いた書類には、我が家の面接指定日は7月14日と記載してありました。連絡から2ヶ月以上先の予定でしたので、焦りはありませんでしたが、ここで1つ問題が生じました。
申請書送付とほぼ同時に入手した警察証明書の発行は昨年8月。通常、日本で提出を求められる公的文書は有効期限が6ヶ月ですので、改めて証明書を取り直す必要があるのではないかと心配になりました。
この時も中村さんに相談したところ、米国大使館に問い合わせていただき、1年以内であれば問題ないとの回答があり、ぎりぎり再入手はせずに済みました。

申請から面接まで11ヶ月と長かったため、この間に第2子を妊娠してしまいました。
面接前に生まれていればよかったのですが、出産が面接後となる我が家の場合、今回の永住権取得の追加対象者にはならないとのことでした。
米国で出産すればアメリカの国籍も取得できますが、移住先が未定で、米国の健康保険にも加入していませんので、日本で出産した後、改めて子供の永住権申請をすることにしました。

面接連絡の書類には指定の医療機関で健康診断を受け、診断結果(X線写真を含む)を持参するようにとの記載がありましたので、電話予約をした上で6月上旬に聖母病院で健康診断を受けました。
私の場合、当時妊娠4ヶ月目に入ったばかりでしたが、妊婦でも接種が法的に認められているとのことで、破傷風とジフテリアのワクチンを身体検査後に接種しました。夫も接種後10年以上経過しているとの理由で同様に接種しました。更に、夫と子供は肝炎のワクチン接種も必要とのことで、当日以外にも2回目の肝炎ワクチン接種に医療機関へ赴きました。
本来、過去の予防接種歴を記入するフォームがNVCから送付されるべきところ、我が家に届いた書類には健康診断結果記入フォームが7枚も入っていたにも拘わらず、当該フォームは入っていませんでしたので、医療機関の予備の用紙で対応してもらいました。
子供と私(妊婦)は今回X線免除でしたが、子供は肝炎のワクチン接種があったため、結局1人当たり健康診断料は3万円ほどかかりました。
健康診断結果は追加の予防接種もしたため7月上旬に受け取りました。

面接連絡の書類には朝8時半と時間が指定されていたため、interview開始が8時半だと思いこみ、遅れてはいけないと前日から緊張していましたが、そうではなく大使館への入館が8時半からということで、当日大使館へ行くと既にビザ申請者が大使館門前に10人程並んでおり、8時半過ぎに並んでいた順に入館しました。
入館順に持ち物検査を受けた後、銀行や郵便局のように窓口が並んでいる部屋で番号札を取って自分の順番が来るのを待ちました。
番号順に窓口に呼ばれ、提出書類一式を提出すると、申請手数料を別の会計窓口で支払うよう言われました。支払いを済ませ再び待っていると1時間以上経ってから窓口に呼ばれ、手数料支払いのレシートを提出するよう言われました。
入室後番号札をうっかり取り忘れると、折角早く並んでいても自分の順番はきませので注意が必要です。
窓口の対応者は日本人で、我が家の場合は中年男性でした。
質問は、(1)私と夫の職業についてで、渡米してから同じ職業に就く予定があるか聞かれました。その予定であると答えたところ、ビザがおりればこういう仕事につけるが、申請書の職業欄には私の場合は主婦(housewife)、夫は(none)としておきましょうと訂正されてしまいました。
その他には、(2)主たる申請者(私)の預金残高はいくらかというものでした。申請者各自にある程度預金残高が必要と思い、家族3人それぞれに預金を振り分け、残高証明書を入手しておきましたが、当日夫と子供の預金残高に関しては何も言われませんでした。
(3)NVCに提出した申請書の下にスタンプで新たに追加された質問事項「テロ組織の指導者又は構成員ですか」という内容を口頭で3歳の娘も含め全員聞かれました。当然「NO」と答えました。
このような簡単なやりとりだけで、提出書類の内容自体には問題がなかったようです。
再び待っていると、別の窓口に呼ばれ、今度は領事から申請書の下欄に署名をするよう指示があり、署名が完了すると今度は交付手数料を会計窓口で支払った後、午後3時半に再びここに来るようにと言われました。

余談ですが、大使館を出たのが11時過ぎと中途半端な時間でしたので、8時半からずっと大人の退屈な行動につき合わされた娘のために後楽園遊園地へ行って時間をつぶすことにしました。さすがに平日の昼間とあって遊園地はがらがらで、乗りたい放題でした。
食事を済ませ、再び大使館へ戻りました。
再入館の際にも身分証明書は必要となります。しかし、パスポートは午前中窓口に預けたままになっていましたので、午前中大使館を出る際に警備員に尋ねたところ、前述の受け付け番号票を提示すればよいとのことでしたので、午後の入館時には番号票を提示しました。
部屋には既に午前中見た顔ぶれが揃っており、午前中とほぼ同じ順番で次々と許可証が交付されていきました。
わが家の3人も無事許可が下りました。
心配していた英語での改まった面接というのは全くなく、ちょっと拍子抜けしてしまいました。
許可証を渡されるときに「記載内容を確認して下さい」と窓口担当者に言われたので、その場で目を通しましたが、夫の書類にタイプミスがみられました。
送付先の州名のちょっとしたタイプミスでしたので、グリーンカードがそれによって送られなくなってしまうということはないとは思いましたが、万全を期すためにも窓口に申し出たところ、5分程ですぐに訂正してくれました。

許可証入手後6ヶ月以内にアメリカに入国することとなっていましたので、夫の仕事が一区切りつき、かつ、私のお腹が安定期中である9月末にハワイへ行きました。
既に仕事が見つかり、住居も確保できている人であればすぐに渡米しても差し支えないのでしょうが、わが家の場合、アメリカでの生活目途が何一つ立っていない状況でしたので、中村さんに相談した結果、とりあえず職探しという名目で一旦入国し、永住権取得の最終手続きを終え、今回はすぐに帰国して改めて渡米するということにしました。
入国審査はどこか別室で行われるものと想像していましたが、通常の観光客が入国審査されるその場で行われました。
最初は英語で質問され、片言の英語で回答していましたが、つたない英語では理解されなかったようで、しばらくすると通訳の人がきました。
質問の内容は、滞在期間は4泊となっていたため、何故滞在期間が短いのかということから始まりました。
Q:何故滞在期間が短いのですか。
A:日本で出産するので、今回は職探しが目的であり、そのため滞在期間が短いのです。
Q;何故アメリカで出産しないのですか。
A;前回手術したため、今回もその必要性が高い。しかし、アメリカの医療保険に入っていないため、こっち(アメリカ)で出産した場合、保障が受けられないからです。
Q;DV2(夫)のレントゲン写真を提出して下さい。
A;今回は持ってきていません。
Q;グリーンカードの送付先の人とはどのような関係ですか。
A;私の友人です。
Q;電話番号を教えて下さい。
A;今はアドレス帳を持っていないため分かりません。
Q;どこかにメモしていないのですか。
A;どこにもメモして来ていません。
Q;どのくらい親しい仲なのですか。
A;10年来の友人です。
Q;なぜ電話番号が分からないのですか。
A;いつも連絡はe-mailを使って取り合っているため、電話番号は必要ないからです。

この他には夫の仕事についても質問されました。夫の職業はフリーのテレビディレクターですが、大使館でのinterviewの際、夫の職業欄の記載は「無職」とされてしまったため、なぜ仕事をしていないのか、どのくらいの期間働いていないのかなどと質問されました。実際には無職だった期間はなかったのですが、つじつまを合わせるため、夫はその理由と期間をその場で考えながら説明しました。
私の職業欄の記載も「主婦」にされてしまったため、それが事実であれば収入のない家族と言うことになってしまうのですが、私に対する職業についての質問はありませんでした。
10分程度のQ&Aの後、もし次の入国もハワイからするのであれば、事務所に両者のレントゲン写真を提出するようにと言われ、夫と私が署名・捺印をして無事入国審査は終了しました。
入国審査の際に、グリーンカードは2、3ヶ月後に届くが、もし6ヶ月経っても届かないようであれば、ハワイの事務所に連絡するように言われましたが、カードは3ヶ月後のクリスマス前後にシカゴに住む友人宅に届きました。
そして、すぐに自宅に転送してもらい、大晦日には無事わが家に届きました。

わが家の場合、必要に迫られて永住権がほしかった訳ではありませんので、今すぐ家族全員アメリカに移り住むということは考えていません。ですから、再度渡米し、その際にsocial security numberと運転免許証を取得し、銀行口座も開設した上で再入国許可証を発行してもらってから日本に戻ってくる計画です。そして、再入国許可証の期限内に今後の計画を立ててから正式に渡米しようと考えています。
私のほんの運試しのような気持ちで応募したDV-98でしたが、今回手にしたチャンスを生かすべく、渡米してから路頭に迷うことのないよう英語を真面目に勉強することから始めようと思っています。
永住権をDVプログラムで取得しようと思われている全ての方々の参考にはならないと思いますが、以上がわが家のDV-98体験記録です。
みなさんにもチャンスが訪れることをお祈りしております。
それから最後になりましたが、適切なアドバイスと親切な対応をして下さったインターパシフィック社の中村さんに心からお礼申し上げます。

<体験記その3>

 「宝くじビザ」とは良く言ったものです。当るはずがないと思いながらも、買わなきゃ当たらないのが宝くじ。宝くじビザだって、応募しなきゃ当たらない。私たち夫妻もまさか当るとは思ってもいませんでした。ですから、私たち夫婦にとっても「当選の知らせ」を受けた時は正直言って戸惑いの方が大きかったのではないでしょうか。

 さて、通称「宝くじビザ」、正式には「DV−1移民多様化ビザ抽選プログラム」に関する記事が日本の雑誌でも頻繁に紹介されています。その多くは応募の方法に関する情報と、グリーンカード保持者のメリットに関する記述がほとんどです。これらの情報はこれから応募したい人には大変有効です。しかし、幸運にも当った人はその後どうするか。じつはこの点に関する情報が(特に日本から応募する人には)ほとんど見当たりません。当選した経験者として一言申し上げると、実際にグリーンカードを取得するまでが実に大変な作業の連続でした。日本で生活し、働いている人には特に大変かと思います。なにしろ、アメリカ大使館でビザ書類を受取った後4ヶ月後にはアメリカに入国しなければならない訳ですから。そのとき、すぐに会社をやめ、家を売って、両親を日本に残し、異国の地アメリカに簡単に移り住めるでしょうか。日本でそれなりに成功している人ならなおさら、悩みは深いと思います。私たちにとっては、当選後はまさに人生の選択を迫られたようなものです。(はじめから、すぐにでも移住覚悟の方々はこんなことで悩む必要はないでしょうが)

 そんなわけで、これから「DV−1 移民多様化ビザ抽選プログラム」に応募する方が、幸運にも当選された時に戸惑わないために知っておかなければならないことを、私たちの経験をもとにしてご説明します。

●当選後に提出すべき書類

1)移民ビザ申請書:まずは当選してから始めにやるべきは「移民ビザ申請書」の記入。当然ながら英語の書類です。この書類は法的用語が多く難解なものです。私たちはアメリカに長く住んでいる知人に相談しながら、完成させました。英語に自信がない方は誰かに相談した方が良いですね。

2)パスポート

3)出生証明書:戸籍抄本か戸籍謄本がこれに該当します。家族で申請する場合は謄本で申請します。私たちは謄本で申請しました。

4)結婚証明書:出生証明書として提出する戸籍謄本で代用しました。

5)警察証明書:その人の犯罪歴を調べるためのものです。私たちは当時、神奈川県に住んでいましたので、神奈川県警察署で申請しました。この時、両手の指全部の指紋を採られます。そして申請から取得まで時間を要します。尚、この証明書は、日本語・英語両方の書類となっています。証明書は封書に入っていてしっかり封印されています。開封すると無効になりますのでくれぐれも開封しないようにご注意下さい。

6)残高証明:銀行の普通預金・定期預金の英文による証明書を、口座のある銀行から発行してもらいます。通常、銀行支店長のサインが入っています。

7)資産証明:銀行預金以外の資産、例えば株式や社債などの金融資産の場合も同様に英文証明書を出してもらいます。私の場合は、ある会社の株式を保有していましたので、その証明書を出してもらいました。尚、このとき英文による証明書が出なかったので日本語のものを、翻訳会社に依頼して英文にしてもらいました。

8)雇用証明:日本人にとって一番厄介なのが雇用証明ではないかと思います。応募時点でこのようなものが必要だとは知りませんでしたので、正直言ってかなり焦りました。ここで言う雇用証明書とは、アメリカのある会社がこの人を月給何千ドルで雇います、という証明書です。この雇用証明書は次の3つを満たしていなくてはいけません。ひとつは、雇用する会社のレターヘッド付きの用紙であること。もうひとつは、給与を明記してあること。最後が、職種と職務内容が明記してあること。ただし雇用証明はあくまで、アメリカ大使館にその書類を提出する時点で会社に雇用の意志があるか否かが重要な訳で、渡米後、実際にそこに勤務したことを証明する必要はないようです。いずれにしても、この件は最初から考慮しておいたほうがいいですね。せっかく当選したのに、雇用先の当てがなくては、グリーンカード取得の権利がなくなってしまいますから。

9)健康診断書:上記1)〜8)の書類をアメリカ大使館に提出後一ヶ月ほどすると、面接日が指定された通知が届きます。その中には、健康診断受診の通知が同封されています。診断を受けるクリニックの場所も指定されています。ここに、自分でアポイントをとって診断に行きます。私たちの場合は東京の渋谷にある英国人の医師でした。内容は簡単なもので、血液検査(HIV検査含む)や胸のレントゲンを撮るといった内容でした。2時間ほどで終わったと思います。

●日本語の書類はどうするか  これら書類のうち日本語のものは全て英語に訳した後、NotaryPublic(日本でいう公証役場でしょうか)によって承認を得る必要があります。日本で承認をとる方法があるかどうか私にはわからなかったので、アメリカの知人に頼みました。具体的には日本語の書類(戸籍謄本など)を全てアメリカの友人に送り、それを全て英訳してもらい、さらにそれをアメリカのNotaryPublicで承認してもらいました。承認された書類をこんどは全て日本に送り返してもらい、最後にアメリカ大使館に書類一式を提出しました。なかなか骨の折れる作業でした。

●面接  書類が問題無く審査を通れば、書類提出から3ヶ月ほどで面接です。書面にてアメリカ大使館から通知が来ます。面接とは言っても、実態はとても簡単なものでした。カウンターを挟んで、面接官と応募者が立ったまま、日本語で質問に答えるだけものもです。質問内容は思い出せません。おそらく大した質問ではなかったと思います。最後に宣誓文を読まされて終わりです。宣誓が終わると、パスポートに仮の永住ビザが押されます。このビザを持って4ヶ月以内にアメリカへとにかく渡る訳です。

●期間  当選の知らせを受けてから実際にグリーンカードを取得するまでにはかなりの時間がかかります。私たちの場合はこうでした。当選の知らせがきたのが1993年10月。それからばたばたと書類を集めはじめてアメリカ大使館に提出したのが11月15日。健康診断を受けたのが翌年1994年4月23日。アメリカ大使館で面接を受け、仮の永住ビザを受取ったのが5月10日。なんとここまでで約8ヶ月かかっています。この後、6月に渡米。最終的にグリーンカードが手元に届いたのが9月末でした。結局のところ当選〜グリーンカード取得まで約1年かかったことになります。この一年間はまさにグリーンカードに振り回された大変忙しい年となりました。尚、渡米後すぐに日本に帰ってしまう場合は、グリーンカードが郵送されてくるアメリカ内の住所を確保しておかなくてはいけません。私たちの場合は、LAの知人宅を住所にし、そこに郵送されるよう手続きしました。

●代行会社に依頼する  応募代行会社の中には当選後のサービスを有料でやってるところもあるようです。私たちは、自分たちでやりましたが、かなりの労力を費やしました。忙しい方やお金に余裕がある方は、信頼できる会社に任せてまった方が良いかもしれません。

●アメリカにすぐに移住できない場合  私たちは現在カリフォルニアに住んでおりますが、グリーンカードを取得してから約2年半の間日本に住んでいました。最近は移民法が厳しくなっているようで、年に数回アメリカに旅行する程度ではせっかく獲得したグリーンカードが取り上げられる危険性があるようです。私たちは最初から、すぐにアメリカに永住することは不可能でした。要するに思い切りが足りなかったということですが。ですから、まず最初に仮永住ビザでアメリカに渡った際に、とにかくSSN(ソーシャルセキュリティー・ナンバー)を取得し、銀行口座を開設することを目標にしました。少しでもアメリカに住んでいる証明を作ろうという努力です。銀行口座に関しても、アメリカ在住の知人の紹介で日系の銀行に口座とクレジットカードを作ることができました。ただし、この程度では決定的な永住の証明にはならないことは理解していましたから、リエントリー・パーミット(再入国許可書)を申請しました。これを持っていれば最長2年間、アメリカを離れていても、グリーンカードを取り上げられないことになっています。ただし、この辺りの扱い方については、移民局や担当スタッフによってばらつきがあるように思います。私の場合1年9ヶ月ぶりにアメリカに入国する際にリエントリー・パーミットを持っているにもかかわらず、サンホゼ空港のイミグレーションで別室に連れて行かれ、「日本で何やってたんだ」「帰りのエアーチケット持ってるか」「今度の滞在はどれくらいだ」などとしつこく聞かれました。尚、リエントリー・パーミットの申請に関しては、弁護士に頼みました。これ以上面倒な書類を書きたくなかったのと弁護士からの申請のほうが、すんなり申請が受理されるだろうという思いからでした。

●最後に  現在私たちはシリコンバレーに住んでおります。グリーンカードを取得してから3年経ちます。今振り返ってみると、グリーンカードが当選したことで、大きく人生が変わってしまった(もしくは大きく変わりつつある)との思いです。実のところ、本当にあれは良かったことなのかどうかわかりません。それくらい大きな影響を私たち夫婦の人生に与えたということです。これからグリーンカード保持者の特権を生かして歩んでいくのか、日本に帰ってしまうのか。これも漠然として答えが見つかりません。宝くじに当ったと思ったら、人生の難問を吹っかけられてしまったということでしょうか。しかし、これも我が人生です。きっと意味があることを神様が与えてくれたのだと思っています。答えはありません。なぜなら自分の人生だから。生きていくことがすなわち答えです。

以上、現在日本にお住まいの方で、グリーンカード取得を夢見ている方々に私たちの経験が参考になれば幸いです。

<コメント>

 確かに、近い将来アメリカで永住したいと強く希望している人以外は、DVプログラムに当選してしまって、かえって戸惑ってしまったという人も多いと思います。せっかく当選したのだから無駄にしてしまうのも勿体ないし、かといって実際にアメリカに移住する準備もできていないという事態に直面した時、人生の大きな選択を迫られることになるでしょう。その結果、「やっぱり永住権はいらない」という結論に達し、結局、申請手続きをしないで権利を放棄してしまう人が多いようです。その証拠として、ナショナル・ビザ・センターは、2000年度DVプログラムにおいて、50,000の永住権枠に対して110,000通の当選通知を発行しました。つまり、米国政府は、ほぼ半数近くの当選者が、権利放棄あるいは永住権応募資格がない等の理由で、最終的に永住権を取得しない(或いはできない)と見込んでいるという計算になります。

 必要書類に関しての追加ですが、DVプログラムの場合、高校卒業以上の学歴があるか、もしなければ、米国労働局が2年以上の経験を必要とすると定義付けた職業に就いた経験が、過去5年間のうち2年以上あるかを証明する書類も必要となります。

 また、上記の体験談でも指摘されていたように、永住権申請の際一番の難関となるのが、金銭的サポートの問題です。米国の雇用主から雇用証明がもらえる場合は別ですが、そうでない場合は、ある程度の資産がない限り難しいと言えましょう。資産として含まれるものとして、預金、株等の有価証券、不動産、保険、その他の投資収入等が挙げられます。その他、定年なさった方の場合、年金収入もサポートとして含めることができます。また、米国市民或いは永住者の親戚、友人等で、あなたを金銭的にサポートするとの宣誓書にサインしてくれる人がいれば、それを利用することもできます。但し、その場合、宣誓する本人もある程度の資産がなければなりません。

 また、いざ永住権を取得しても、実際に米国に居住していない場合、永住権を剥奪される可能性もあります。(「移民X-FILE」の他の体験談をご参照下さい。)従って、永住権を取得し、さらに保持するには、かなりの覚悟が必要です。

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