Charlotte Weekly 1997.08.03.号 通巻 第50号
さようならCharlotte
長い事ご愛読いただいた、Charlotte Weeklyもこの50号でちょうど創刊1周年
を迎える事ができました。このように続けられましたのは、ひとえに皆様方の
暖かい励ましと、より多くの方に広めていただいたおかげと、感謝しております。
もう一年という短い間でしたが、本当にありがとうございました。
思い返しますと、昨年の今ごろはインターネットでこのWeeklyをお配りする方が
15名でした。しかし、今では70名を超える方々にインターネットメールでお出し
しております。その他にもFAXを使った配布もさせていただいておりますので、
実際にお読みいただいている人数は100名を超えているのではないかと考えて おります。そして、その広がりに、一部嬉しさ、また反面厳しさを感じております。
本当に、私ごときの文章で表現できる事は、つたない事ではありますが、 「現地」、「現物」、「実感」をお伝えしたく、Weeklyを続けてまいりました。
「ネタが尽きるまで続ける」をモットーに書いてまいりましたが、この度米国内転 勤となりまして、今月からSilicon Valleyに移る事になりました。そんな事情から、 Charlotte からのWeeklyは、ひとまずここまででおしまいとさせていただきたく 思います。今週は最終号として、我が家のCharlotte 生活総集編をお届けします。
−思い出の地Charlotte−
我が家は、外国での生活は今回がはじめてで、95年の10月にCharlotteに着任し
てから異なる文化や、習慣をこなしながら、家族皆んなでがんばってきました。
家内と当時は中2と小5の男の子2人の一家4人の生活が始まりました。幸い いろいろな方にご支援いただき、米国での生活は割とスムーズに始まりました。
ありがたいことに家族内には米国文化への拒否反応は少なく、一人一人はそれなり
に大変なことが多かったとは思いますが、随分早く米国の生活に適応できたように
思います。特に、いろいろなイベントなどを思い返しますと、オリンピックを見る
チャンスもありました。米国の応援一色のアトランタ大会も思い出されますし、な
ぜかその年は17年セミの大発生の年であったこと。冬には6年ぶりの大雪で、車
で外へ出る事ができずに3日間、家に閉じ込められたことなど、短い間ながらも、
いろいろな経験をしました。そんな思いでも交えて、Charlotteの思い出をここに
まとめたいと思います。
−Charlotteの四季−
Charlotteは緑が多く、とてもきれいな街です。米国の南部にあるので、広々と
したところで、ゆったりと生活している人が多いように思います。 春は、梨の白い花がまず一斉に開き春の始まりを告げます。それから、桜、つつじ、
花水木が次々と咲きます。いつしかサマータイムへと変わってゆきます。そして
春の終わりを告げるように、泰山木が品のいい白い立派な花をつけて夏への変わり
目へとつなぎます。
夏の季節は、昼間は温度としては日本以上に暑いですが、内陸性の季候で朝晩は涼
しく、周りが広々と緑に囲まれているので、ほっとすることができます。ここでは
泰山木の花と百日紅の花が陽射しに耐えて、咲きつづけます。
秋は、移り変わりが早いです。紅葉が街中を彩り、Halloweenの飾り付けが、家の
周りにアクセントを付けます。そして、それが終わると冬の街はクリスマスに彩ら
れます。それぞれの家が、思い思いの飾り付けをして、通りがかった人たちのため
に外からも楽しめるようにします。商店は、クリスマスセールで、楽しそうな人で
にぎわいます。そして、年が明けると寒さがきつくなります。寒い朝には、木々に
霧氷というか樹氷というか、氷が重く張りつきます。これによって木はずいぶんし
なります。時々、その重さに耐えかねて、幹が折れたり、割れたりして、明け方に
はカーンという音がすることもあります。寒い晩には、マイナス7-8℃にまで下が
る事も珍しくありません。しかし、霧氷付いた木々が太陽に照らさるときらきら輝
き、澄んだ青空とのコントラストがとてもきれいです。
−Charlotteの文化−
Charlotteは文化的には南部の面影をたくさん残しています。
広々した土地に、ゆったりと人々は住んでいます。特に、エンターテイメント
はありませんが、私には昼食に出かけるときに聞くFM 89.9MHzの放送が印象的で
した。ちょうど平日の昼食時には、「Mozart cafe」という番組をやっておりまし
て、Mozartと並んで同時代の作曲家の作品を聞かせてくれました。もちろん、
音楽のセンスでMozartが飛びぬけていることが確認できるだけですが、とても
楽しい番組の一つでした。こんなにMozartが尊敬されているところが米国にも
あるということを実感できました。
−家族の生活−
家族本人には言いにくいこともあるので、私がまとめることにします。 家内の生活、はテニスが身を助け、実に充実したCharlotteの生活をエンジョイで
きたのではないかと思います。着任してすぐにテニスクラブを一人で探し回り、ど
んどん米国人の友達を作ってしまうのですから。それも、先方からぜひ、試合に
出てくれと頼まれるほどの腕前で、芸が身を助けた例でしょう。今年の6月には、
NYCで行われた朝日レディースの米国大会で見事優勝して日本での本大会への、
無料航空券を手にしました。この本大会は、米国に転勤になる前からの願いだった
のですが、転勤後に実現するとは、彼女も大変驚いています。
ボランティア活動もいろいろやっていましたが、今回の転勤で中断を余儀なくされ
ました。しかし彼女のことですから今度は場所を変えてもっとがんばるでしょう。
上の子の生活、こちらにきたときには中学2年生でした。好きな科目が英語 だったせいか、随分と早く英語をマスターできました。現地の中学を出るときには 成績優秀者で、卒業式で表彰されました。こちらに来てからの1年もしないで そこまでやるとは、少々驚きました。本人は、日本の受験のおかげで、鉛筆転がし 技術がうまくなっただけ、と謙遜していますが。サッカー、陸上もがんばってやっ てくれました。
下の子の生活、こちらに来たときには、英語には随分無口で、現地の学校でどうな ることかとちょっと心配しました。しかし、サッカー技術の才能をコーチに認めら れ、今やサッカーで始まり、サッカーで終わる毎日を過ごしています。もちろん、 英語も格段に進歩して、Nativeな発音は彼が一番きれいです。
かく申す私は、こちらに来てから、カルチャーの差に驚くばかりで、これからは
その認識のもとにどうやって、Internationalなビジネスを広げて行くかを考えたい
と思っています。本当にアメリカの歴史が息づいている街Charlotte。
家族それぞれに思い出がたくさん詰まっています。この思い出深いCharlotteの街
なのですが、もうお別れしなければなりません。でも、一生懸命毎日挑戦の連続で
生活していた思い出の地として、私たち家族の心の中には生き続けると思います。
そして、皆様、また次の都市からコンタクトと言う事で。ごきげんよう。 愛しの街Charlotteよさようなら。
Bye now.
ゥCopyright 1997, 1996 Hiroshi Yagi. All Rights Reserved Worldwide.
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
50 |
ゥCopyright 1997, 1996 Interpacific
Network Corporation. All Rights Reserved Worldwide On Any Copyrightable
Materials.